感覚というものの脆さ

ヨハン・ザルコが残りのシーズンを走らない事が

発表されました。

KTMのエースとして期待の中始まったシーズンでしたが

最後まで本来の速さを発揮することなく終わってしまいましたね。

 

ところで、今回の発表は果たしてどちらからの要望だったんでしょうか?

KTMがこれ以上走ることの意味のなさを主張したのか、それとも?

 

個人的な推測でいえば、ザルコサイドからの要望があったんではないか?

と思います。

既に来年以降、MOTOGPのテストライダーの就任を目指す

ザルコにとって、これ以上自分のスタイルに合わないマシンで

走り続けることは、彼の中で持っている感覚を失う事を恐れたんじゃないでしょうか?

 

かつて、ドゥカティからヤマハに復帰したロッシが2013年低迷した時に

原田哲也さんが指摘したのは、ずっと速くないマシン、自分に合わないマシンで

走り続けていると、自分の中での良かった頃のフィーリング、感覚が

失われてしまって、いざ速いマシンに乗った時に速く走れない良いフィーリングが

戻ってこなくなるというものでした。だから2013年はその感覚のリハビリのシーズンだと。

実際、原田さんも500から250に戻った時はしばらくはそのフィーリングが

戻ってこなかったようですね。

 

ザルコからすれば、直4と全く異なるハンドリングを持つV4マシン、

しかもパイプフレームという独特のレイアウトのKTMのマシンでこれ以上走ることは

M1時代に培ったフィーリングを完全に失う恐れがある、だからこれ以上

走らない方が得策と考えたのかもしれません。

来年、彼はヤマハのテストライダー就任を目指しているわけですしね。

 

それほどトップライダーにとってもこの良いフィーリングを保ち続けること

というのは難しいということなのか。

常に感覚を磨き続けることは大変・・。