MOTOGPのF1化
日本メーカーが大苦戦している。
去年あたりからそんな声が聞こえてくるようになりました。
日本メーカーは終わりだという悲観的な事を言う人も。
まあ、この手の発言は言いたい人が言ってるだけで、
根拠は希薄なんで無視するとして、ここでは何故、ここまで
日本のメーカーが苦戦するに至ったかを考察してみたいと思います。
そもそも欧州を中心に展開されるMOTOGPに参戦することは
日本という地理的ハンデを最初から抱えて参戦しているわけです。
だから、これまでの日本メーカーはその地理的不利を跳ね返すロジック
例えば、日本で造られたものを迅速にヨーロッパの拠点に送り
ほぼタイムラグなく、実践に投入することが出来ていました。
かつて、MOTOGPにタイヤ供給をしていたブリヂストンは翌週末に
使用するタイヤを前の週の日曜日に作って輸送していたそうです。
つまり、その位の時間感覚で仕事が出来ていたんですよね。
ところが、コロナ+ウクライナ紛争のダブルショックでこれが出来なくなった。
ひとつはロシア上空を飛べなくなったことで物理的に時間がかかるようになった。
もうひとつは、輸送コストが増大したことによってこれまでのような
迅速な対応が出来なくなった。という背景がありますね。
それと個人的にはこれが一番大きな要因だと考えているのですが、
MOTOGPがどんどんF1化しているということ。
特に今のMOTOGPは2016年に制定されたレギュレーションから
ほぼ大きな変更が無く、既に10年が経過しようとしています。
そうなると、マシンそのもののポテンシャルはほぼ似たようなレベルで
拮抗しており、つまり幹はほぼ同じで差をつけるのは枝葉の部分。
この枝葉の部分というのをレギュレーションの隙間を見つけて
自分らに有利なデバイスを見つける能力と言い換えてもいいかも知れません。
F1の歴史もそんな感じなんですよね。
特にエイドリアン・ニューウェイという人は過去にもこのレギュレーションの
行間を縫って、デバイスを作るのが上手い人で、そうやってライバルを出し抜いてきました。(そのデバイスが有効に機能するのが前提ですが)
そうなってくると、この行間を読んで自分らに有利なデバイスを見つけて
取り入れるのが上手いか下手かが今の差に結びついていると思います。
そしてこの行間を読むという作業が海外のメーカー、チームは上手く、それが
現在の「差」を生んでいるように思います。
それはひとえに、MOTOGPに参戦している海外のメーカー(とチーム)と
日本のメーカー(とチーム)の成り立ちが違うという側面も関係しているかと。
つまり、日本のメーカーの参戦体制は、ただ目の前のレースに勝つ
だけではなく自社のエンジニアの育成も兼ねている。
だからレース畑専門の出身者で無くても社内的にその役職に抜擢され
前任者の元で育成されて責任者なりになっていく。
そこには会社の組織としての継続性も含んでいますね。
対して、海外のメーカーは目の前のレースに勝つための人材を
内部でも外部でもとにかく、有用と思えば引っ張ってきて抜擢する。
育てるという考え方、その組織に従属するという考えは希薄で、
言ってみればF1チームのエンジニアに近い存在でしょう。
よりいい待遇があれば他チームに簡単に移籍します。
実際、今期飛躍を遂げているKTMは過去にも日本のサプライヤーから
技術者を引き抜いたり、最近ではドゥカティからチームマネージャーや
技術責任者の腹心、チーフエンジニアなどを引き抜いています。
まとめると、日本のメーカーは組織の永続的な運営の観点から
人事を決定するのに対して、海外のメーカーは刹那的、今勝つための
人材を採用するという違いがあると思います。
個の突破力に期待していると言いますか。
その差が、先ほど述べた、レギュレーションの行間を読んで
ライバルを出し抜く技術を思いつく人材がチームに居るか居ないか
引いては、現在の違いを生んでいる要因と考えられますね。