MOTOGPのF1化
通称「スプーン」の解釈について
抗議が上がった一件について、海外の多くの
メディアはMOTOGPのF1化は避けなければならない
というような論調で書いていますね。
MOTOGPのF1化とはどういうことか。
一言で言えば、レギュレーションの行間、隙間を
かいくぐったアイテムが次々と投入されてそれを禁止される
のイタチごっこという意味でしょうね。
最近で言えば、1996年のニューウェイ設計のFW16。
この年からコクピット周りのプロテクター着用が
義務付けになりましたが、ニューウェイはこの規定が
側面から見た時の面積にしか触れられていないことに
着目、横から見た時の面積をクリアするためにフィンを
つけてこれをクリア、実際のプロテクターは一段低く
する手法を取りました。
結果的にこれは合法となり、他チームが模倣することに。
あるいは1998年に登場したタワーウイング。
これはウイングの寸法が規定されてないかつ、禁止になっていない
箇所にタワー状のウイングを立ててダウンフォースを
稼ぐ手法ですが、これも多くのチームが模倣しましたが
これはFIAから禁止されました。
そもそもハイノーズだって、フラットボトム規定に
対して、あくまでも底板は平らにしておいて、そこから
モノコックを浮かすことで、下に空間を作った。
これだってレギュレーションの抜け道を使っています。
こうやってレギュレーションの隙間アイテムを
どんどんと投入して、マシンが奇形化していく。
つまり、海外のジャーナリストはドゥカティが
今まさにやろうとしている行き先はそういうことだよ。
と言いたいんでしょうね。
そしてそれはレーシングマシンの進化とは違う
MOTOGPのルールの中だけで勝つための異常進化した
形になってしまうことを危惧している。
そう思います。
実際、今のドゥカティは醜い。
それに尽きる。