YZF-R1の20年 その2

2007年になると、ワイズギアレーシングから
世界帰りのノリックも参戦。
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YSPの中須賀君からすれば意識せざるを得ない存在と
共に全日本を戦うことになります。
ノリックは存在感をみせる走りをところどころで見せてくれましたが
(特にロケットスタート)結果はあまり残りませんでしたね。

このシーズンを振り返るとロケットスタートで先行したノリック
中盤から終盤にかけて中須賀選手が抜くパターンが多かったように思います。
それだけ中須賀選手はレース全体を戦い抜くマネージメント力を
身につけつつあったか。
そして念願の全日本初優勝を遂げ、終わってみればランキング4位。
JSB2年目としては上出来のシーズンでは無いでしょうか。
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翌年2008年はヤマハ伝統のゼッケン「21」をつけてのシーズン。
中須賀選手は2勝をあげ初の全日本タイトルをR1にもたらすこととなります。
更に翌2009年には新たにクロスプレーンエンジンという
新しい武器を手に入れた新型R1で連覇を飾ります。
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この連覇の影で忘れてはならないのは、同じSP忠男出身の
大崎選手の存在。
彼はダンロップの開発ライダーとしてタイヤ開発に従事しており
彼の開発したタイヤが中須賀選手のタイトルに貢献しています。

ただし、この時期になってくるともはやダンロップ
ブリヂストンに対するタイヤの性能的な劣勢は明白で
翌年以降は中須賀選手は厳しい戦いの連続を強いられることになります。