ヴァレンティーノ・ロッシのこの10年

今日は生ける伝説ロッシの40歳の誕生日ですね。

とはいえ、最後にタイトルを獲得した2009年から
丸々10年、無冠で来ていて、最近ファンになった人からすれば
昔は凄かったけど、最近は年に一回か二回勝てるレベルの
ライダーってイメージなのかも・・・・。

彼の評価を難しくしているのは、元々彼は勝利数の
半分しか獲得していないポールポジションの数からし
わかるように、決勝重視のセッティングで決勝で強いライダー。

特に500cc時代は燃料タンクが今よりも容量が大きく、
しかもダミータンクじゃなくって純然たるタンクの位置に
燃料が入っていたから、スタート直後とゴール直前では
車体の重量というか、重心の位置が大きく変化するし
当然、タイヤはどんどん消耗するというわけで、スタート直後と
ゴール直前ではもはや、別物なくらいマシンバランスが変化していました。
ロッシはその終盤に走りやすいことを重視してセッティングを
施すライダーでしたから、ある意味500時代、MOTOGP黎明期の強さは
当然の帰結だったのかも知れません。
ロッシの自叙伝によると当時のミシュランはスタート時の
グリップを10とすれば、ゴールした時には2しか残っていなくらい
タイヤのタレが大きかったそうですね。

だからいわゆるハイテク、電子制御の導入によって、レース終盤の
タイヤがタレてバランスが崩れたマシンを補正するように
なってくるとロッシのアドバンスが失われて行ったのは当然かも
知れません。
加えて、これもロッシの自叙伝によりますが、当時台頭してきた
ブリヂストンタイヤはミシュランに比べてタレの落ち幅が
非常に小さく、スタート時を10とすればゴール直前でも8くらいまでしか
グリップが落なかったそうです。

つまり、ハイテクの進化+ブリヂストンタイヤの登場が
レースに強いロッシのアドバンテージを削っていったとも
言えるかも知れません。
それは彼より若くアグレッシブなライダーがスタートから
ハイペースでガンガン逃げるレーススタイルで勝っていくこととも
関係あると思います。

だからヤマハは最新仕様のハイテクを導入した2009年、
ブリヂストンワンメイクになったこの年、ロッシがかろうじて
ロレンツォを退けたものの、もはや彼のスタイルでのアドバンテージは
ほとんど残っていなかったと言えるかも知れませんね。
翌年、骨折欠場もあって、ロレンツォに遂に破れることになりました。

当時のヤマハは2009年からですが、ロッシとロレンツォを
対等に扱うジョイントナンバーワン体制を敷いていましたが
これもロッシをドゥカティに移籍させる要因となったようですね。
彼はあくまでも彼を中心として動くチームで働きたかったようです。

長くなったので一旦、中断。