ヴァレンティーノ・ロッシのこの10年  その2


ドゥカティに移籍して再び自分を開発の中心に
据えた体制のチームを手に入れたロッシでしたが
この2年は失われた2年になってしまいます。

この2年の間にモノコックからアルミツインスパーまで
フレームをどんどん変えていきますが、結果的にロッシ好みの
マシンになることはありませんでした。
彼はブレーキングから走りを組み立てるライダー(ヤマハ関係者談)
ですから、このブレーキングが決まらないと彼本来の
切れ味鋭い走りは出来ません。
この点に関しては、フレームどうこうと言うよりは
デスモセディッチの限界だったのかも知れません。
ロッシの離脱と共にクビになった技術主任のフィリッポ・プレジオーシの
後任としてアプリリアからやってきたルイジ・ダリーニャが
やったことは、エンジンを強度メンバーとして使っていた
名残りの大きく頑強なシリンダーヘッドをダイエットして
エンジンを小さくして前に搭載することでしたから。
そうしないとブリヂストンタイヤの性能を引き出せないと
わかっていたようですね。
結局、フロントタイヤの性能が引き出せない以上
ライバルに太刀打ち出来るマシンにはなりえない。
それはロッシのテクニック、開発能力を持ってしもいかんともしがたい。
逆に言うと、ロッシは何でも乗りこなすタイプの
天才ライダーでは無いということがはっきり分かった事でも
あります。

2013年ロッシは、再びヤマハに戻ることになりました。