パニガーレの6年を振り返る PART1
セッションが始まります。
ドゥカティとしてはWSB開幕以来使い続けてきた
Lツインマシンに別れを告げるレースとなります。
そのLツインの最終兵器 パニガーレは結果的に
終わるという屈辱の歴史を作ってしまいましたね。
今回から、そのパニガーレは走った2013年から2018年の
6年間のシーズンにフォーカスをあてて敗因を
探ってみたいと思います。
その前に2013年当時のレギュレーションに触れておきましょう。
当時というか、2気筒が1200ccまでOKになった2008年から
2気筒マシンには最低重量が4気筒より+4kgのウェイトハンデ
リストリクターによる吸入制限、エンジンの改造範囲はカムシャフトの交換のみで
それ以外のパーツは基本的に市販状態の物を使用する
という3つの足かせがかけられています。
ただし、3つの足かせがあっても2008年にベイリス、2011年に
チェカが1198Rでタイトル取ってますから、ドゥカティにもそれなりの
アドバンテージがあったことは伺えます。
ですから、この3つの足かせはパニガーレデビューとなった2013年シーズンも
引き継がれていました。
ドゥカティがパニガーレをデビューさせるに当たって、
選んだパートナーはかつてスズキとパートナーを組んでいた
アルスターで、ライダーは2011年の世界王者カルロス・チェカと
2度のSTK1000王者 アイルトン・バドビーニでしたね。
当然、この体制、メンツで挑んだわけですから、開幕戦の
注目度は高く、そしてそのパニガーレのデビューレースとなった
フィリップアイランドではカルロス・チェカがいきなりの
ポールポジションを獲得しました。
当時のドゥカティは916にしろ、999にしろ、1098にしろ
デビューイヤーにタイトルを獲得するというジンクスが
ありましたから、このパニガーレもそれに続くと思われましたが・・・。