デイビスとパニガーレの戦い(1)
WSBヘレスラウンドの初日に
WSBへの参戦の取りやめ、そしてそれは恐らく
レーシングライダーとしての引退を示唆する記者会見を行いました。
チャズ・デイビスのキャリアを振り返るとその大半が
ドゥカティ最後のツインレーサー パニガーレで
タイトル獲得することへのチャレンジの歴史と言ってもいいでしょう。
今回は彼とパニガーレの激闘の歴史を振り返ると共に
WSBのレギュレーションの変遷も合わせて振り返ってみたいと思います。
その前にまず、ドゥカティが何故伝統のトリレスフレームを捨てて
モノコックフレームを採用したのかについて憶測を交えて触れたいと思います。
ドゥカティはそのアイデンティティとも言えるLツインエンジン、つまり
90度バンクのV型エンジンを搭載しているわけですが、
それを搭載しているがために、どうしてもクランクセンターが後ろになり
前輪荷重が少なく、かつホイールベースに占めるスイングアームの割合が短くなります。
当時の4気筒勢は既にエンジンを可能な限りコンパクトに作り、前に搭載することで
前輪荷重を増やしブレーキングでフロントタイヤの性能を引き出し、車体の安定性はロングスイングアームで補うという考え方が主流でしたから、言ってみれば4気筒勢に負けないブレーキングを実現する車体を作る目的が大きかったのかも知れませんね。
そのためにはL型エンジンを傾けて、更に前輪に近づける必要があって、
そうなると従来のトリレスフレームでは無理で、結果的にモノコックフレームを使って
車体の前半部分を極力切り詰めて短いマシンを作り上げました。
ただこのモノコックフレーム、ドゥカティも初めて採用した経験の少ない形式ということで
大きな欠点を抱えていて、それは2013年、アルスターと共にワークス活動を開始した時点ではっきりと顕在化してきます。
それはピレリのソフトタイヤがレースで使えないということ。
当時はソフトとハードの2種類が選択できましたが、予選の一発ではソフトを履いて
タイムは出せるものの、決勝ではハードで無いとタイヤが持たないことがわかってきます。
これは当時のエースだったカルロス・チェカがコメントではっきり言っていて、
決勝ではハードを使わざるを得ないけど、ハードでは絶対的なタイムペースが低いため
勝負にならないと言っています。
これは恐らく、強固すぎたモノコックフレームとピレリタイヤとの相性の問題で
モノコックフレームはタイヤに攻撃性が高すぎるんでしょうね。
この特性は終始、パニガーレについて回る部分はあったと思います。
ですから、この2013シーズン、パニガーレは終始10位前後を走ることしか出来ず、
結果は低迷、アルスターとのジョイントはわずか1年で解消という終わり方を迎えることとなりました。
2013シーズン当初のデイビスはBMW・イタリアのエースライダーでシーズン2勝を
上げるなど、好調なシーズンを送っていましたが、このシーズン限りで
BMWがワークス活動を終了、彼は再びシートを探さねばならない状況になっていました。
しかしBMWイタリアのベースになっていたフィールレーシングは元々、数々のタイトルを
ドゥカティと獲得してきたドゥカティコルセのベースチームでしたから
アルスターと決別したドゥカティとしては渡りに船で、注に浮いたフィールレーシングと再び
タッグを組み、2014年からドゥカティコルセというかつての黄金コンビ復活となり
デイビスはそのエーススライダーに抜擢されることとなります。
デイビスとパニガーレの戦いはこの2014年から始まることとなります。