テンケイトとWSS

噂は前からありましたが、正式にエントリーリストが
発表されテンケイト・ホンダはWSS
エントリーしないことが明らかになりました。

テンケイトと言えば、もうWSSにおける名門中の名門で
獲得したタイトルの数はダントツ。

始まりは2002年のファビアン・フォレから。
当時はまだ、タイヤコンペ時代でしたから、
テンケイトはピレリのスポンサーカラーだったんですよね。
マシンはCBR400F4i。
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翌年にはマシンがCBR600RRにチェンジ。
若きオージー クリス・ヴァーミューレンがタイトルを
獲得、その翌年には同じくオージーのカール・マグレッジが
タイトルを獲得しました。
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2005年になると、ウィンストンが
スポンサーになって、ライダーが一新。
セバスチャン・シャルパンティアと藤原克昭さんが走ります。
このシャルパンティアが速くって、2005、2006と連覇。
これでテンケイトは5年連続のタイトルとなります。
当時の最大のライバルはヤマハ・ジャーマニーでしたね。
特に2006年の最終戦は完走すればタイトル獲得の
ケヴィン・カーテンがまさかの転倒リタイアでシャルパンティアが
タイトル獲得という劇的な結末。
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そして2006年の途中から台頭してきたのがチームメイトになった
ケナン・ソフォーグルでした。
2007年はそのソフォーグルが自身初のタイトル獲得。
ハンスフリーがスポンサーでしたね。

彼は一旦、スーパーバイクで走るんだけど、これが全然ダメで
もう一回、WSSに帰ってきて2度目のタイトルを獲得しています。
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で、ソフォーグルがWSBに行っていた一年の間、同チームで
走ったのがアンドリュー・ピットと若かりし頃のジョニー・レイ。
レイはルーキーながらアグレッシブな走りでチームメイトに
果敢なアタックを見せましたがいかんせん転倒が多くタイトルは
ピットの手に。

2009年になるとヤマハが念願のタイトル獲得、
ライダーはクラッチロウでしたね。
この頃になると、CBRの戦闘力が段々苦しくなってきていて
おまけにソフォーグルはカワサキに移籍、テンケイトは
タイトルの蚊帳の外の走りが多くなります。
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そんな中ビックリの快走をみせたのがマイケル・ヴァン・デル・マークですね。
そう考えると、マイケルがいかに抜きん出ているかが
わかるというもの。

ただ、今年の時点で既に資金難には陥っていて
タイのコアモータースポーツと合同チームでしたよね。
しかもタイ側のチームは約束全然守んなくって、チームは
ホンダ・ヨーロッパの支援を全面的に受ける状態でした。

来季はチームはレッドブルのスポンサーを受けますから
資金的には問題はなさそうですが、WSSから手を引くというのは
ホンダ側の判断ってことになるんでしょうか。
この辺、ワークス復活のヤマハとは好対照。
いずれにしろ、ひとつの時代の終わりということになるのかな。