ヒストリー・メーカー ①
ジョナサン・レイが史上初となる
WSB3連覇を達成しました。
まさに、歴史を作る男 ヒストリー・メーカーだと思います。
ここではその3連覇の軌跡を当時のWSBの背景と共に
振り返っていきたいと思います。
2015年、レイはカワサキに移籍を果たすことになりますが
この2015年はWSBのレギュレーションが大きく変わった年で
それまでのいわゆるスーパーバイクレギュレーションから
2014年から暫定的に施工されていた「エヴォレギュレーション」へと
変遷した年でもあります。
「エヴォレギュレーション」とはすなわち、エンジンの主要パーツ
ピストン、クランクシャフト、コンロッドといった
大物パーツは全て市販ノーマル状態のものを使うというもので
(カムシャフトは交換可能)
レース用のスペシャルピストンやクランクは一切使えません。
これはドゥカティ含む2気筒マシンが1200ccに拡大した時に
2気筒勢には既に採用されていた規定で、これを4気筒にも
拡大適用したという形になります。
ありていに言えば、2気筒勢と4気筒勢の戦闘力を近づける意図が
あったと思われます。
これを受けて4気筒勢は大幅にパワーダウンを余儀なくされ
既にこの規定で走っていて影響を受けないドゥカティとの
戦力差は縮まることになりました。
エヴォレギュレーションのマシンを与えて1シーズン走らせることで
2015年の時点で高い戦闘力のマシンを用意することが出来ていました。
ですから他の4気筒勢よりはかなり開発で先行していたのも事実です。
ただ、エヴォレギュレーションになってマシンの加速性能
ピックアップ性能がスーパーバイク時代より悪くなったことで
カワサキのエースであったトム・サイクスはそのライディングに
影響があったようです。
というのも彼のスタイルはコーナーに激しく入ってしっかり減速
クルッと回って激しく立ち上がるという典型的なスローインファストアウト
スタイルで、エンジン加速がダルくなったことは明らかに不利な条件でした。
それに対して、レイはある程度スピードを乗せて
コーナーにアプローチ、綺麗に曲げて立ち上がりに繋げるスタイルですから
そこまでの影響は無かったと思われます。
元々非力なホンダでずっと戦っていたので、パワーのないマシンで
速く走る術を確立していたという事情もあったかも知れません。
果たしてシーズンが始まってみると、開幕からレイがトップを
走るシーズンとなります。
シーズン途中には戦力差が縮まったドゥカティの
エース デイビスが、パニガーレに初優勝をもたらし、
さらにサイクスもエヴォレギュレーションのマシンに
対応して速さを増してその差を縮めてきましたが、時すでに遅し。
シーズン序盤の大量リードを守ったジョニー・レイが自身にとって
初のタイトルを手にすることとなります。
この年のレイは13戦26レース中、14勝、2位7回、3位が2回。
リタイアはマシントラブルによる一回。
総獲得ポイントは548となっています。
リタイアが無ければ2002年にエドワーズがマークした
シーズン獲得ポイント数のレコードを超えたと思われます。