通算100勝

ドニントンの第2レースでレイが
優勝したことで、カワサキはWSB通算100勝を
マークしました。
イメージ 1
これはドゥカティに次ぐ成績。

まあ、WSB初期からワークス参戦し続けている
ドゥカティと紆余曲折を経ているカワサキでは条件が
だいぶ違ってくるけど。

記念すべき1勝目をマークしたアドリアン・モリラスとか
完全プライベーターだったかんね。
マシンはGPX750。
イメージ 3
イメージ 4
その後、オーストラリアからロブ・フィリスが
カワサキ・オーストラリアを引き連れてやってきて
ZXR750で優勝を飾るようになって、
そのフィリスが連れてきたのが、ニュージーランド
イメージ 5
イメージ 6

92年になると、アメリカからロブ・マジー
スコット・ラッセルと共にWSB参戦。
カワサキ初のタイトルを93年に獲得します。
ラッセルがGPに行ってからは、オージー
アンソニー・ゴバートがエースの座を引き継ぎます。
マシンもZXR750の海外名 ZX-7RからZX-7RRへと変更。
イメージ 7

そして、97年になるとKRT、カワサキワークスとして
活動を開始、日本のエース 柳川明選手が優勝を飾るなど
活躍を見せました。
井筒選手も菅生でダブルウィンを飾りましたね。

KRTの活動が2002年をもって終了、
WSBも1000ccへと移行していく2003年から
カワサキMOTOGPに参戦し、WSBには消極的に。
と同時に成績は低迷、暗黒期に入ります。
カワサキの活動はイタリアのPSGー1カワサキが行うことになりますが
マシンの戦闘力不足もあって、大雨のレースでクリス・ウォーカーが
勝ったレース以外は低迷が続きます。
この低迷期には玉田選手も走ってましたね。
イメージ 9
復調の兆しが見えてきたのは、MOTOGPから撤退して
再びWSBに本腰を入れる宣言をした2010年からで
2011年にマシンがフルモデルチェンジ。
ようやく勝てるマシンになりました。
チームも今のスペインベースのチームに
移管し、同時に2010年にサイクスがヤマハから加入。
2012年にはホアン・ラスコルツが事故でキャリアを絶たれるも
サイクスが初めてタイトル争いに絡む活躍。
わずか0.5ポイント及ばずタイトルを逃すも
2013年にはカワサキにとって20年ぶりのタイトル獲得、
サイクスにとっては初のタイトル。
イメージ 8
そして2015年にジョナサン・レイが加入し。
あっという間に優勝を荒稼ぎ、現在2連覇中で
100勝到達となりました。
レイだけで20勝以上稼いでいるんちゃうかな。
イメージ 2

MOTOGP撤退してからの本腰期間の成績は
素晴らしいものがありますね。

WSBの歴史を語る上で、ドゥカティに次いで
欠かせない存在ではあることは間違いなく
WSBイコールカワサキのイメージはかなり
強く印象づけられていると思います。
そういう意味ではカワサキの戦略は成功してますね。