小さな鉄人
イタリアGPでペドロサが250戦目を迎えます。
この若さで250戦ってのは、彼が年齢制限が
始まって若手が台頭しだした125ccの先鋒だったってのも
あるかも知れませんね。
99年にアレックス・クリビレがスペイン人として
初の500ccチャンピオンになったことで、スペイン国内の
GP人気は最高潮に達し、その中で生まれたモビスターJrチームの
GPデビューを飾ったのが2002年のこと。
左からホアン・オリーブ、ペドロサ、エリアス、ストーナー。
この4人はゼッケンも並びでエリアス24、オリーブ25
ペドロサ26、ストーナーが27でした。
でも2002年当初注目されたのはトニ・エリアスの方でしたね。
でも当時から目立ったのはエリアスだけど玄人好みする
ペドロサも勝ちは少なかったけど評価が高かったんですよね。
それが一気に花開いたのが2003年。
ホンダもほとんどNSR125と思えるくらいRS125を開発してきて
そのマシンでもって、ペドロサは見事にタイトルを獲得しました。
そして翌年の250のステップアップを発表した直後に
オーストラリアでクラッシュ。
両足首骨折の重傷で、シーズン残りを欠場するだけではなく
開幕戦までにロクにテストをできない状態でのシーズンインと
なってしまいました。
それでも250デビュー戦でいきなり優勝を飾るという
驚異的なデビューから始まってシーズンを終始リードし
250初年度ながら見事ワールドタイトルを獲得
翌2005年も連覇を飾ります。
そして2006年満を持してのMOTOGPクラス参戦。
ルーキーイヤーは1勝に留まるも
翌年の2007年 800cc元年からは実質的にホンダの
エースとして、戦うことになります。
しかし、ここからが苦難の連続。
800cc時代のホンダは決してマシンの戦闘力が
ようやくマシンの戦闘力が高まってきた2011年は
モビスターJr時代のチームメイト ケーシー・ストーナーが
ホンダに加入し、タイトルをかっさらっていきます。
それでも2012年 1000cc元年の年は
スペインの後輩ホルヘ・ロレンツォとの
争いでタイトルまであと一歩まで行くも結果的に届かず。
2013年以降はスペインの新星 マルク・マルケスが
チームメイトとなり2年連続で苦杯を舐めることに。
ペドロサはどうしても体格が小さいために
マシン、タイヤのライディングに占める
パーセンテージが高く、それがゆえに雨や
タイヤの消耗といった外的要因によるペースダウンが
顕著なライダーで、そういう意味ではここ数年の
電子制御の熟成によるタイヤの消耗の軽減、スライドの減少は
間違いなく彼のようなライダーには大きな助けに
なっていたと思います。
そう考えると、今年から採用されたタイヤの消耗が激しい
ミシュランタイヤと大きく滑るプアな電子制御は
再び、彼に大きな向かい風になっていると思います。
加えて、新しいRC213Vはそもそもの戦闘力が低いと来れば
タイトルは再び遠ざかっているように思います。
それでもこれまでの彼がそうだったように外野の声に
振り回されることなく、コツコツと再びフロントランナーに
戻ってくる、ペドロサはそういうライダーだと思いますね。
でもタイトルに届くかどうかというと・・・・。