三度目のワークス復活

ヤマハが帰ってきますね~~。

前回の撤退からあんまり、間が空いてないような
気がしますが、それだけ社内にもヨーロッパにも
要望の声が大きかったんでしょうか?

ヤマハのWSBでのワークス活動は一番最初は1995年。
国内の4スト選手権がTT-F1からスーパーバイク(750㏄)に
移行したのを受けて4メーカーがベースマシンを投入。
これを機に各社、WSBへのワークス参入を開始。
(ただし、カワサキは既に活動中だった)
ライダーは故永井康友選手とアメリカの若手コーリン・エドワーズ
この年のアッセンで不慮の事故により、永井選手が
この世を去ることとなりました。
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これを受けて、翌96年、彼の意思を継いで走ったのが
現在、ヤマハ・ファクトリーの監督である吉川和多留さんでしたね。
98年になると、全日本王者の称号を引っさげて登場したのが
芳賀選手。
スコット・ラッセルとコンビを組みましたね。
エドワーズはホンダに移籍)
99年になると、ヤマハはリーサルウェポン YZF-R7を投入。
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00年はホンダのエドワーズと一騎打ちになりますが、
芳賀選手が風邪引きに使った感冒がドーピング検査に引っかかり
失格でポイントを失い、僅差でタイトルを逃す羽目に。

ヤマハは2002年からのGP4ストローク化に注力するために
WSBからの撤退を決意、2000年限りでワークス活動に終止符を
打ちます。

次の復活は2005年。
既にWSBはレギュレーションが変わって、1000㏄の
SSによって争われるようになっていました。
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芳賀選手、ピット、コーサーなどが走り
2009年にベン・スピーズがヤマハとして初めての
ライダーズタイトルを獲得。
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以降、クラッチロウやメランドリィ、ラバティなどが走り
2011年を持って活動を停止します。
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こう見ていくと、名バイプレイヤーになることはあるけど
なかなか主役になりにくいイメージのヤマハですが、
第3期では果たしてどういった走りを見せてくれるでしょうか。

ヤマハのニューウェポン YZF-R1Mのポテンシャルが
相当に高いだけに、期待はいやがおうにも高まりますね。