ピレリにとっての10年間

WSBを統括するフラミニグループが
突然、ピレリタイヤのワンメイクを宣言して
はや10年。
 
メーカーへの事前承諾を得ない強引なやり口は
メーカーからの反発を招くことになりましたが
今にして思うと、MOTOGPやF1でさえもワンメイクタイヤを
導入してますから、先見の明はあったように思います。
 
大体、ワンメイクを導入した当初、2004年の時点で
WSBも曲がり角に来てましたからね。
 
MOTOGPの方が4スト化になったことを受けて、
ドゥカティ以外の日本メーカーはそちらに軸足を
置いた結果、ヤマハは2000年限りで、ホンダとカワサキ
2002年限りでワークスチームをたたんでしまい
2003年はミシュランを履くドゥカティワークスの一党独占で
これを追ったのがアルスター・スズキとプライベートドゥカティ
で、こちらはダンロップということで
マシン性能だけでなく、タイヤ性能も含めて
ドゥカワークス圧倒的有利な状況で正直
レースが面白くありませんでしたからね。
(ホンダはワークスは撤退したけど、テンケイトは継続参戦)
 
実際、2004年から導入されたピレリワンメイク
予想以上にタイヤが柔らかくって、ワークスドゥカだと
有り余るパワーでタイヤが消耗してしまうという弱点を
抱えていて、非力なプライベートドゥカを走らせる
芳賀選手にチャンスが巡ってくることになりましたからね。
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この頃から、ただ速さを追求するだけでなく、
いかにタイヤに優しいエンジンにするかという方向に
シフトしたことも大きかったかも知れません。
実際、レースも混戦になりましたしね。
 
2004年のワンメイク導入以降、連覇したチーム、ライダーが
居ないというのは、その辺の影響が大きいと思います。
 
2004年 ジェイムズ・トスランド(ドゥカティ
2005年 トロイ・コーサー(スズキ)
2007年 ジェイムズ・トスランド(ホンダ)
2009年 ベン・スピーズ(ヤマハ
2013年 トム・サイクス(カワサキ
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