あれから16年

マニクール 第1レースでトプラック・ラズガットリオーグルが

優勝を飾り、トルコ人ライダーにとってのWSB初優勝をマークしましたが

これは同時にピレリタイヤにとって800戦目の区切りのレースとなりました。

 

2004年、当時WSBを仕切っていたフラミニレーシングは突如として

タイヤワンメイクを打ち出し、そのメーカーにピレリが選ばれました。

これは事前にメーカーへの伝達がほとんどされなかったようで、

多くのメーカー、特に日本の4メーカーの反発は大きく結果として

以降ワークスチームの派遣を取りやめるという方針を打ち出させるほどのものでした。

 

しかし、結果的に他のカテゴリーも軒並みタイヤワンメイク

コスト抑制に走ることを考えると、これは先見の明があったのでは

ないでしょうか?

 

実際、ピレリワンメイク初年度がそうであったように、闇雲にパワーを

出したチームが勝てるわけではなく、いかにタイヤを持たせるか?

という我慢比べと制御の発達の方向にマシン開発が舵取られていったのは

間違いがないところですね。

 

最近はタイヤの側もポテンシャルが上がってきて昔のような

ガックリとペースが落ちるようなこともなく、サーキットによっては

MOTOGPに匹敵するタイムをマークすることもあります。

 

もはやWSB=ピレリのイメージと言っても過言では無いでしょうね。

これからも末永くWSBを足元から支える存在になりそうです。