BSワンメイク時代を振り返る ②

さて、2009年の圧勝の勢いを維持して
ヤマハが相変わらずの速さをみせたのが2010年。
マシンは当然ながら、前年型の熟成モデルで
相変わらずブリヂストンタイヤとのマッチングは
最高のものを見せました。
ただライダーの力関係に変化があり、シーズン開幕前の
レーニング中の転倒で肩を負傷したロッシは
本調子で無いまま、シーズンイン。
そして、徐徐にロレンツォに圧倒される展開の中、
地元ムジェロで転倒を喫し、足を骨折戦線離脱となりました。
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このロッシの転倒に象徴されていますが、相変わらず安全性重視で
オーバーヒートに強い、言い換えればタイヤに熱が入りにくい
というブリヂストンの特性は変わってなくって、この年のヨーロッパが全般的に
気温が低かったという条件も相まって、タイヤがグリップを失って
転倒、負傷が続出したシーズンでもあります。
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ロッシもそうですが、バルベラや青山さんもそうでしたね。
ロッシはフリー走行中、道を譲ってペースダウンしたら
タイヤの温度が下がって、いきなりハイサイド
青山さんもロングストレートエンドのコーナーリングで
ハイサイドというものでした。
この頃から、タイヤが余りにも熱が入りにくいことに関しては
改善の声が上がるようになっていましたね。
実際に改善されるのは1000㏄時代になってからです。
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またロッシの離脱によってロレンツォの独走となるかと
思いきや、ホンダのペドロサが急浮上してきて
タイトルに待ったをかけた展開だったのも記憶に新しいところ。
サスペンションを変えたり、エンジンのバンク角を変えたり
重量配分をいじったりしていたホンダですが、この時期ようやく
ブリヂストンタイヤに合った車体の正解を見つけつつあるのが
わかりましたね。
後に中本さんが言ってますけど、色々な技術やアイデアはあるけど
それを結果に結びつけるにはどうしたらいいかが、分かっていなかった
って話ですね。その点に関しては、F1から復帰した中本さんの
存在なしには語れないでしょう。
実際、この年のRC212Vは前年モデルに比べてずんぐりむっくりの
寸づまりみたいなフォルムになってましたね。
後々分かることですけど、シームレスミッションはこの頃から
開発していたようですね。
ヤマハ圧勝からホンダの逆襲が始まりつつあったシーズンという
印象ですね。

一方、頑固なドゥカティは我が道路線でストーナーの神通力も
通じなくなって、低迷の一途。
まあ、この頑固路線はプレジオーシ在任中は続くこととなり
ロッシもその犠牲者になっちゃいます。