私的レプソル・ホンダ ⑤

さて、1999年です。
 
この年は一番大きかったのはTV大阪の放送が
無くなって地上波の放送が日本TVになったこと。
最初は本当に実況が酷かった・・・。
非常に混戦だったし、岡田、原田、ノリックが活躍した
激戦のシーズンだっただけに、本当残念だった。
 
今振り返っても重要なターニングポイントになる
シーズンだったように思います。
それは、ドゥーハン+NSR専制政権が終わり
3メーカー三つ巴の混戦の始まりという意味で。
この年からレプソルカラーを変えたのも良くなかったかも。(いやいや)
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まあ、その予兆は開幕戦 初開催となった
マレーシア セパンでのレースでドゥーハンが
全くいいところなく終わって、勝ったのが
スズキに移籍したケニーJrってとこですよね。
さらに、新たにイタリアにチームの母体をもつ
マールボロヤマハとして新しい体制をスタートさせた
ヤマハ勢も速かったことで、3メーカーが一気に
接近した感じがしました。
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まあ、セパン、続くもてぎはどのチームも初開催コースって
ことで、データが揃ってなくてイコールコンディションでしたが
ヨーロッパに移れば、クリビエ+NSRはデータがたっぷりあるのに対して
ビアッジ+ヤマハ、ケニー+スズキは初めてのマシンでの
戦いですからセッティングの完成度に大きな差があるのは
歴然で、それでクリビエは逃げ切ったって感じで、
翌年にはそのアドバンテージが無くなるであろうことは容易に
想像できたこと。
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そしてシーズン中盤に快進撃をみせたのが原田選手の
アプリリアだったのも思い出ですね。
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このシーズンのハイライトはやっぱりブラジルGPか。
ノリックが久々の優勝を飾ったレースだったけど、
その前に岡田さんとノリック接触して岡田さんが
コースアウト、クリビエのタイトルが決まったという意味でもね。