ヴァレンティーノ・ロッシとその愛機たち(2)
さて、2000年いよいよ最高峰クラスに上がったロッシが
初めて乗ったのが2000年型NSR500です。
マシンから大きな変更を加えておらず基本的な特性は
ミックの好みのままのマシンと思われます。
ミックの好み、つまり彼のようにダイナミックのマシンの
上で積極的に前後左右に体重移動を行い、マシンを振り回すスタイルに
合わせてマシンが作られている。
ミックのライディングの特徴として、マシンの倒しこみの速さ
ブレーキングを終えてから、フルバンキングまでの切れ味が挙げられると思います。
だから、彼はフロントに17インチのタイヤしか履かなかったんですよね。
彼が現役だった時代、すでにミシュランは16.5インチの接地面がよりファットな
タイヤを開発投入していましたが、ミックはこれを使うことはありませんでした。
彼やレイニーのように寝かしこみのキレを求めるライダーは使わなかったようですね。
対してハードにブレーキをかけるライダー、ガードナーやシュワンツはこれを好んで使ったようです。
余談ながら、シュワンツの93年のタイトル獲得は、この16.5インチタイヤに合わせて
マシンセッティングを仕上げたのが原動力だと思っています。
そんな17インチのフロントに合わせて開発されたNSR500でしたが、90年中盤以降500㏄クラスに台頭してきた中小排気量出身のヨーロピアンや日本人ライダーは
中小排気量の乗り方のまま、500に来てますから、ブレーキングしながらクリップに向かっていくスタイル。だから、フロントには16.5インチタイヤを選ぶことになります。
決して、マシンとタイヤのマッチングがベストとは言い難いわけです。
それでも99年にはクリビエがタイトルを獲得したわけですが、当時の状況を振り返ると、
クリビエがホンダワークス6シーズン目だったのに対して、ビアッジはヤマハ初年度、
しかもヤマハはそれまでのチーム・ロバーツ、レイニーといった外部チームにワークス活動を託すのでなく、自社ワークスを立ち上げたばかりの段階、スズキのケニーJr加入初年度で、まだまだマシンとのマッチングを探っている時期で、まあ、クリビエに有利な状況だったというわけで、ヤマハとスズキが体制を整えた2000年になると、
完全に横並びになりましたよね。
だからホンダは2001年に向けてフロント16.5インチに合わせてマシンを一新した
新型NSR500の投入を余儀なくされるわけです。
それでも500㏄参戦初年度でロッシは2勝、ランキング2位でホンダ勢では最上位は
さすがでしたね。
この辺の要因は次回、触れたいと思います。