今年で20歳

今年はYZF-R1生誕20周年だそうです。

全日本のヤマハ・ファクトリーはそれにちなんだ
カラーリングで登場するんだとか。

元々、ヤマハは1000ccクラスには車両を持っていて
かつてのFZR1000Rやその後継のサンダーエース YZF1000R
なんかが、該当しますが、どちらかというと
レーサーレプリカなのか、ツアラーなんかどっちつかずで
それが故に、イマイチ人気が無かったモデルでした。
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しかし、サンダーエースの後継機として登場したYZF-R1
ツイスティーロード最速を標榜し、当時盛り上がりつつあった
スーパースポーツにおけるCBR900RRのライバルとして凌駕する
スペックを持って登場してきました。
とにかく軽かったですよね。

まあ、このマシンの登場で、スーパースポーツのランクが
一個上がったと言ってもいいでしょう。
4気筒におけるドゥカティ916的存在と言いますか。
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このR1に次の転換期が来たのは2004年。
スーパーバイクのレギュレーションが変わって、
それまでのあくまでもツイスティーロードつまり公道を
対象としていたのに対し、レーシングスリックにも対応した
サーキットを速く走ることも考慮した
マシン作りが求められることとなり、
登場したのがセンターアップマフラーの4世代目モデル。
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当時はスーパースポーツ全盛期で2年ごとのモデルチェンジが
行われ、2007年には4バルブエンジン、2009年にはクロスプレーンと
エンジンにも大幅に手は入るし、フレームもコロコロ変わると
まあ、継続路線のGSX-Rとは真逆の進化を遂げるわけです。
全日本では中須賀さんがタイトルを連覇しますけど、
いわゆるプライベーターの数の少なさがこのマシン本来の
ポテンシャルを示していたと思います。
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2012年にマイナーチェンジを受けてから経済不況もあって
モデルチェンジを見送っていたR1がフルモデルチェンジを受けたのは
2015年のこと。
このマシンはエンジンの改造範囲が狭くなったスーパーバイク
規定を見越して、エンジンパーツもレーサーさながらのパーツを
組み込み、車体にはMOTOGPマシンの技術を応用
もはや、初代モデルのツイスティロードは消え去りサーキット最速の
マシンへと生まれ変わりました。
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その後の結果は言うまでもなく。
全日本でもプライベーターの数は増えました。
このR1の登場によって、スーパースポーツの基準がワンランク
引き上げられたと言っても過言では無いかも知れません。
逆に登場して4年経っても一線級の戦闘力を保っていて
後発のライバルメーカーに引けを取らないところが
基本設計の高さを感じさせます。
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ヤマハの中でもかなり息の長いモデルとなりましたが
これからもフラッグシップモデルとしてレースで結果を
残し続けてくれることでしょう。