ロッシとM1の4年間

昨日も書いていて思ったけど
ドゥカティからヤマハに復帰したロッシにとって
この4年間というのは、地に落ちた自分自身の評価と
失った自信を取り戻すためのシーズン。

そして、ヤマハにとっては打倒マルケスのために
YZR-M1を進化させ続けた4年間だったと言えるか。
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ロッシが復帰した2013年、彼にとってはヤマハでも
キャリアワーストと言えるシーズンでしたけど、
彼自身のライダーとしてのセンサーが錆びていたのもあるけど
そもそもYZR-M1が止まらないバイクになっていたってのが大きいかな。
この年の彼はとにかくブレーキングでバイクが止まらないって
コメントばっかりしてましたからね。
2012年に最低重量が4kg増えて、フロントタイヤの剛性が
落とされた影響が出ていたんだと思います。
それでもロレンツォがタイトルを取ったり、タイトル争い出来たのは
彼のスタイルがブレーキングをハードにかけるタイプでは
無かったからでしょうね。
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でも2014年になってハッキリとブレーキングでホンダに
遅れを取っていることが浮き彫りになると、そこからYZR-M1は
怒涛の改良を受けることになり、それと歩を合わせるように
ロッシの復活劇が始まっていくことになります。
恐らくですけど、このブレーキングスタビリティを高める方向性の
開発において、ロッシが居なければ2015年の大躍進は
無かったんじゃないかな?
ロレンツォはそういう方向性では車両を作ってないからね。
改良型のフレームもたしかロッシの方が先行して
使っていたハズ。
2014年ロッシのフォームが
マルケスばりの肘張りフォームになったのは記憶に新しいところ。
これはブレーキングからの旋回力がまだ弱くってライダーが
体でマシンを起こしてやる必要があったから。
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2015年になるとリーインウィズに近くなってくるのは
より突っ込めて、そっから曲がるマシンになったから
上体を入れる必要が無くなったからですね。

2016年になると、車体というよりむしろタイヤ側の要求から
再びライディングフォームを改良中のロッシ。
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座談会で原田さんが言ってましたけど、速い時のスタイルを
捨てて改良するってのは下手すると前よりも遅くなるリスクも
あるわけで、あえてそれを敢行する勇気と才能、
そしてそれをきっちり結果に結びつけることが出来るってのが
ロッシが一線級を走り続けられる要因でしょうか。