MOTOGP200戦を振り返る ④

「タイヤウォーズ その1」
 
2002年から始まったMOTOGPのもうひとつの側面は
やはり熾烈なタイヤ戦争ですよね。
 
ブリヂストンは2003年からジョイントするチームをそれまでの
カネモト・ホンダとチーム・ロバーツから、イタリアを母体とする
JIR(プラマック・ホンダ)とし、ライダーに玉田選手を抜擢します。
(抜擢したのはBSの山田さん)
 
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結果的にこのライダーの選択が功を奏し、BSに最高峰初優勝を
もたらすことになります。
(2004年のキャメル・ホンダも母体はJIRのまま)
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さらに2005年からはドゥカティ、スズキ、カワサキとジョイントし
ミシュランに対する大攻勢を開始することに。
 
ミシュランが特定のライダーの意見を重視してタイトルを
狙う戦略だったのに対し、(具体的にはロッシ)
ブリヂストンはそれぞれのチームのマシンに合わせ込んだ
タイヤ造りをするという戦略を採択。
中でもドゥカティがエースチームになったのは、開発用マシンを
ドゥカティが提供していたためです。(ライダーは伊藤さん)
 
結果的にタイトルを逃すものの、2006年もカタルニアで
ジベルナウがチームメイトのカピロッシを巻き添えにするアクシデントを
起こさなければ、この年タイトルをとる可能性もありましたよね。
あの年はタイトル争いがロースコアでしたから。
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