ロンボニさん

既に触れましたがドリアーノ・ロンボニが
亡くなりました。
 
彼はカピロッシと世代が近くって
125cc、250ccのステップアップもほぼ同期。
仲もよくって、1993年の最終戦 原田選手が
逆転タイトルに向けて疾走する後ろで
カピロッシをあえて抜かなかったのは
彼の性格が表れていますね。
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ちなみに、余りいい話では無いんですけど
彼のことで非常に印象が強いのはWSBに挑戦を開始した
青木治親選手のチームのオーナーだった時代の話。
序盤、2戦でいいところを走ってみせた治親選手。
しかし、その後、急激に失速したのはマシンのエンジンの
オーバーホールをドゥカティに出さなかったため
エンジンのパフォーマンスがどんどん落ちていたから。
しかも、その間、ロンボニは新型のレンジローバーを買うなど
とても、財政に困っているとは思えず、頭にきた
治親選手がエンジンのオーバーホールの件を
持ち出したら
「うだうだ言うなら俺が走る」
って言って治親選手をクビにして、
自分で走ったってエピソードですね。
治親選手の実力を考えれば、あの年普通に走るマシンを
手にしていれば、その後のキャリアも大きく変わったであろうことを
考えると・・・ね。
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