ヴァレンティーノ・ロッシとその愛機たち(1)
2021年限りでその26年に及ぶキャリアに終止符を打った
ここでは彼が最高峰クラスで駆った愛機たちについて、当時のレギュレーションの
変遷も含めて、彼がどう戦っていったのか振り返ってみたいと思います。
最初は125cc時代と250cc時代に走らせたアプリリアのワークスレーサー
RS125とRSW250ですね。
彼は125で1996と1997の2シーズン、250で1998と1999の2シーズンを戦い
それぞれ、1997と1999に世界王者に輝いています。
当時は、現在のMOTO2、3と違って中小排気量クラスでもワークスマシンが
存在しており、金とコネのあるライダーは一台1億円すると言われる
ワークスマシンを手にすることが出来ました。
イタリアメーカーのアプリリアが自国のスーパースターの卵である
ロッシを全面的にバックアップするためにワークスマシンを用意するのは
ある意味当然と言えるでしょう。
ワークスマシンはエンジンが他の市販レーサーよりも速いのは言うまでもないことで
カウルやシートカウルもライダーの体格に合わせて作られています。
ロッシはこの頃から既に長身でしたから、彼専用のカウルやシートが必要だったのでしょうね。
ちなみに現在のMOTO2、3のレギュレーションでは特定のライダーに合わせて
カウルやシートカウルを加工することは禁止されており、あくまでも市販状態のまま
乗ることをとされています。
ですから、MOTO3マシンなんかは長身ライダーは非常に窮屈な姿勢で乗らざるを得ない
という状況にあり、それを理由にMOTO2に行くライダーも多いですね。
話を戻すと、125時代、250時代から彼は既に彼専用のマシンを用意され(ルーキーイヤーの1996年は除いて)て走っていたわけですから、その時点で大きなアドバンテージを
得ていたわけでです。
加えて、125cc時代の2年目となった1997年は2年連続王者の青木選手が250へ、上田さんは資金難で毎レース走るのがやっと、坂田さんはライディングスタイルを変更中と
際立って対抗できる存在は不在だった中でのタイトル獲得。
250cc時代の2年目となった1999年はライバルらしいライバルがほぼ不在のシーズンで
前年までチームメイトだった原田さんは500へ、カピロッシはホンダへ移籍、テック3ヤマハはまだ戦闘力が低く、加藤大治郎はフル参戦していないという状況で、シーズンを通して対抗しうる存在は宇川さんのみでした。
ですから、2度の世界王者獲得と言っても、圧倒的に有利なハードを手にした上での
アドバンテージをもってのタイトル獲得であり、もちろん速いライダーではあったけど、
後の伝説に残るような凄いライダーになるという印象は無かったように思います。
むしろ、派手なパフォーマンスやマシン、ヘルメットの色使いの方が印象が強かったかもしれません。
ですから、2000年いよいよ最高峰クラスに上がるという段階において、
受け入れ先となったホンダがどの程度、彼を評価していたのかが気になるところですね。
恐らくですけど、この時のホンダの評価が、結果的に、ロッシと袂を分かつことになる遠因にもなっているように思います。